夏合宿…ということでみんなでやんばる・石垣島に両爬を見に行くことになった、のだが、日程が諸般の事情とほぼ被りやがり石垣島に行けないことが判明した。
その悲しみを背負いながらやんばるへ。今回の目的は春のやんばるでは見られなかったクロイワトカゲモドキとリュウキュウヤマガメだ。どちらも数は少ないそうだがそれなりに目撃情報はあるし何とかなるでしょう、、、
それとおそらく本島最難関種である日本のコブラことハイも見たいのだが、あれは見ようと思って見れるようなものではないし、さてどうなるか…
那覇空港を出発したのは夕方。ここからやんばるまでは2-3時間はかかる…といっても両爬探索の本番は夜であり全く問題ナシ。いろいろ寄り道して到着したのは20時半とかだったか。
まずは通称「イモリ池」へ。水辺にイモリがたくさんおり、近くにはイシカワガエルがいた沢もある良ポイントなのだが、渇水で生き物どころかポイントそのものが消滅していた。ふざけんな!
悲しみに暮れながら歩いていると、同行者がなんとアマミタカチホを拾い上げた(ぼくだったら小さくてミミズだと思ってスルーしていただろう)。
これには一同大興奮でした。ぼくは興奮しすぎて写真を撮っていない。
その後も林道に出てきたハナサキガエルを捕まえるなどしつつ進んでいると、春には結局出会えずじまいだった念願の!北部産のクロイワトカゲに遭遇した。やはり南部の個体とは模様が違う。白い縦じまのみの南部産と白いまだら模様の北部産では別種に見えるし、あと何年かしたらまた別種扱いになるんじゃないか、と軽口をたたきながら(まさかこの時は本当に別亜種検討がなされているとは知らなかった)林道流しへシフト。
アカマタくらいしかヘビがおらず萎えたが、ルートビアでドーピングしていたため、道路の上にいたクロイワトカゲモドキを見逃さずに発見・観察することができた(これ以降、調子に乗って“林道流しの魔術師”と自称している)。車が近づいても全く逃げる様子がないため、DORの被害にあうのではないかと懸念するほどニブイ個体であった。なのに完全尾。マングース被害はだいぶ軽減されていることの表れか?
その後、側溝を覗いているとイシカワガエルを見つけたが、コレジャナイ感がすごかった。
翌朝。することがないのでトカゲ類を探したり下見をしたりしたがそれでも時間が余ったのでルートビアを求めて名護まで戻った。
夜になって林道流しをしていると、運転していた同期のNが突然急ブレーキをかけ一言。「ヤマガメいた、躱したから見てきて」
ウッソだろ!?といいながら車から飛び出すと、、、
念願かなってリュウキュウヤマガメに会うことができた。春はこいつを探して沢を登っては落ち、滝にぶつかっては引き返しと散々な目に合ったのに結局会えずじまいだったので感無量だ。
いい年をした大学生が6人で写真を撮ったりしていると、不意に別の車がやってきて、中から男女二人組が降りてきたので、なぜか臨戦態勢に入ってしまい、ヤマガメを見せないようにしてその間に逃がした。
男「こんばんは!何か生き物見れましたか?」
ぼく「バウワウッ!ガアッ!(ここはおたくらみたいなカップルが気軽に来ていいとこじゃねえんださっさと去ね)」
この二人は「私たちはアカマタとか見れましたよ(はぁと」などと脳内に砂糖が詰まってそうな言葉を残し、我々が行こうとしていた林道へ消えていった。そう、林道流しとは先行者がいたら意味がないのである。我々は呪詛を唱えながら別の林道へ…
と、またもやNが急ブレーキ。反射的に外へ飛び出すぼく。
「ヘビかわからんけど停めたわ。違ったらすまん」の声を背に来た道を走っていると、ふいに目の前に「ヤツ」が現れた。驚きで頭が真っ白になる。
ハイ。「日照り」の名に恥じぬほどのまばゆい輝きを放っており、目がくらみそうになった。
路上で「はい!はい!はい!はい!」と突然叫びだした19歳無職をいぶかしげな眼で見ていた同行者たちもその姿を認めると同時に同じような状態になったのがおかしかった。ありがとうバカップル。君らがしょうもない林道に先回りしてくれたおかげだヨ。
とまあ路上で不審者集会を開いていると、1台の原付が襲来した。乗っていたのは沖縄在住の有名若手虫屋であるF氏であった。Twitterで知り合いだったがお会いするのは初めてだったが、気さくに話しかけてくださり、なんと原生林のポイントを案内してくれることになった。
この原生林内探索ではいろいろな化学反応が自分の中で起こった。中でも特筆すべきは「Neolucanusとの邂逅」であろうか。原生林で眼鏡と引き換えに得たこの経験がぼくの大学生活にさらなる波乱を巻き起こすのだが… まあ、この話は別の機会にしようと思う。
最終日の朝。台風が近づいている。リュウキュウヤマガメの死体を見て萎えていたが県道2号でヤンバルクイナに会った。波止場食堂でポーク卵定食を食べた。名護でゲリラ豪雨にあって携帯が壊れた。ペントハウスにとまることになった。
みんな満身創痍だったが、道路を見るにヘビがうようよ湧いてそうだったのでやんばるへ。2mのハブがいたが対峙しているときに殺気に怖気づいたら逃げられてしまった。
翌朝は那覇空港へ。石垣遠征組と別れて福岡へ帰った。
思うに、この遠征が最後の「余力を残した」遠征になったと思う。ハブに逃げられたことでぼくと同期のNの中で悔しさ・ふがいなさが化学反応(好きだなこの言葉)を起こし、さらに血も涙もない、自己の限界を追求した探索へと舵を切ることになる。